江戸堀コダマビルの歴史
江戸堀コダマビル(旧児玉竹次郎邸)は1935(昭和10)年に故児玉竹次郎の本宅として大阪市西区横堀・岡本工務店(山中茂一設計)によって建てられました。1878(明治11)年に岐阜で生まれた児玉竹次郎は、12歳で大阪に丁稚奉公に出て、その後1902(明治35)年大阪市西区靱上通に、本縫ミシンと環縫ミシンのほか、蒲団、米櫃から茶瓶まで一式を借りて児玉竹平商店として独立し、ワイシャツ・カラー、カフスの製造販売を始めました。その後、西区靱、阿波座を本拠に、ワイシャツ地やハンカチ、輸出用綿布などを扱い事業を拡大、綿布商として大成しましたが、第二次世界大戦の大阪空襲で店を焼失し、戦後の物資統制のなかで企業統合されました。一方耐火構造の本宅は、裏が江戸堀川だったことも幸いして戦火を逃れ、現在までその姿をとどめることになりました。
児玉家は宝塚に新しく住まいを設け、戦後はビル1棟を住宅として貸したり、また会員制倶楽部の会館として無償で提供するなどして使っていましたが、1972(昭和47)年に竹次郎の孫にあたる児玉竹之助がビルの管理を担うようになってから、徐々に積極的な活用を展開するようになります。イタリアの現代美術を扱うギャラリー(現在は閉廊)をはじめ、プロの演奏家も利用する本格的なレッスンホールを設けるなど、竹之助の関心を活かすかたちで改修を重ねました。2006(平成18)年には児玉家の蔵に保管されていた様々な生活雑貨や台所用品を整理し、「大正・昭和の家庭用品展示室」をオープンするなど、今も江戸堀コダマビルは一種の文化サロンのような場となっています。
施工当時の姿を精密に再現した模型。塀に囲われた前庭と、中央部には光庭があった。
児玉竹次郎邸新築祝いの様子 1935(昭和10)年
この土塀、門は戦時中に焼け落ち、今は残っていません。
1階の数寄屋風和室 1935(昭和10)年
初代児玉竹次郎(右から2人目)と二代目児玉儀助(右)
屋上で開催された暑気払いの様子 昭和後期
玄関前での記念撮影の様子
大阪精華倶楽部のパンフレット
年表
1935(昭和10)年 児玉竹次郎邸として施工
1967(昭和42)年 大阪精華倶楽部発足
1986(昭和61)年 レッスンホールを開設
2006(平成18)年 全面的な改修工事を実施。大正・昭和の家庭用品展示室を開設
2007(平成19)年 国登録有形文化財に登録
2014(平成26)年 大阪市「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」に選定